国際プロジェクトに関わりフランス人やドイツ人と英語で仕事をする

中学生の時に地元からアメリカのカリフォルニアのサンフランシスコとロサンジェルスへ派遣する海外体験学習がありました。当時映画が好きでその舞台を是非とも見て見たいと英語の勉強に励みました。中学2年生でしたが、中学1年2年の英語の教科書を丸暗記しました。単語も2年分完璧に綴れました。また面接用にアメリカの歴史も同時に勉強しました。おかげで海外体験へ派遣してもらいました。アメリカでは読み書きは出来ても英語を話す事は出来ませんでした。コミュニケーション問題があるのが分かりました。高校でも英語とスピーキングに力を入れましたが、読み書きは良くてもスピーキング力が育ちませんでした。そのまま英語を続け大学も英語科へ進みました。ただ英語を話せずにいました。そこで近くの米軍基地の将校の奥様方が講師をされている外語学校へ大学の講義が終わってから二足の草鞋で通いだしました。そこでは否応なしに英語を話さなくてはいけなくて毎回実践トレーニングでした。2年間通ったらどうにかコミュニケーションは取れるようになり、友達もたくさん出来ました。そこからスピーキングにも力が付き、徐々に場数を踏んで、自信を持って話せるようになりました。

 

私の時代は就職氷河期でした。大学で英語を勉強しても就職がコンビニという先輩もいて、英語を使えない職場ならば、見つかるまで外語学校へ通いながらアルバイトをしようと決めました。そうしていると、地元の公民館から子供たちに英語を教えてくれと頼まれました。その次に国際交流センターから、地元の奥様方に初級レベルの英語を教えて欲しいと頼まれました。その次は小学校から非常勤講師で雇われ、色々とクラスを掛け持ちして英語を教える事に携わっていました。そうこうしていると、今働いている会社から、秘書の方が緊急入院して、英語を話せる人を、明日から来られる人を探していると、役場を通して連絡がありました。その役場の人は、以前子供の時に通っていてその時に知り合った役場の国際課の人でした。私の場合、自分の力で今の就職先を探したというよりも、今まで知り合っていた人達のお力添えで持って就職をしたという感じです。積極的に色々な英会話サークルや講座に参加したのが良かったと思います。

就職は知り合いを通して、電力系の工場建設にあたり、その技術支援に来ていたフランスの会社のドキュメンテーションアシスタントとして仕事をしました。建設時の書類の整理と登録、企業秘密、機密の情報の取り扱い等をフランスサイドと調整しファイリングという作業でした。フランス人の英語はアメリカやイギリスの英語とは違い、結構日本人並みで聴きやすく、理解も簡単です。その後一旦その会社を退職しました。それは、国際プロジェクトの始まりにあたり、事業部長の秘書としてきてもらいたというお話をもらったためです。そのまま国際プロジェクトの方へ転職しました。国際プロジェクトなので、フランス人やスペイン人、ドイツ人やインド人など彼らの秘書業務を担当しました。スケジュール管理や出張の計画、個人的な頼まれごとを忙しくこなしました。また会議に出席して議事録も取りました。議事録発行にあたっては、各発言者への裏取りや確認も英語で行いました。また国際会議の調整もしました。世界中からくる出張者の宿から移動、食事制限等の調整も行いました。大学院へ戻りたくて、そこを退職しました。大学院卒業後、初めて勤めたフランスの会社から、現在の秘書が定年退職されるので、もし可能なら来て欲しいとの連絡がありましたので、また古巣へ戻りました。そこでは秘書業務を担当していました。2回目の就職先と作業はほぼ一緒です。ただ現在は、それに加え通訳翻訳業務を任されています。電力系の特殊な専門分野の英単語力が必要で毎日四苦八苦で勉学に励んでいます。